Spirit of the Universe

子供モデル 4歳デビュー

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東京・赤坂 赤坂スタジオ
リーナ・エダ4歳デビュー

写真家 藤井秀樹

赤坂スタジオにいた藤井秀樹氏は
素晴らしい写真家で、気骨があった。

この日の仕事は
某銀行のポスターの撮影だった。

白い鳩を抱きしめて、
平然とした顔をしているが、

とっても怖くおどおどしていた。
白い鳩も戸惑っていたに違いない。
暴れないようにと
足を紐でくくりつけられている。

可愛いそうだけど、
そうではないと自由に羽ばたいて
何処か遠くへ行ってしまう。

白い鳩も私も試練の時である。

写真撮影は何時間もかかるものなので、
お互い試練としか云いようがない。
白い鳩はうぐいす色の糞をべったり、
洋服にこぼした。

私は半べそ気分でやるせなかったが、
撮影中である。

写真家が一通り撮り終わるまで、
身動きしてはならないのだ。

うぐいす色の糞は下へ下へとこぼれ、
やっと写真家の目に止まったのだ。

ここで休憩タイム!

ほっとひと息、急に涙が溢れてきた。
私は思わず、わーと泣いてしまった。
写真家の藤井氏は優しく慰めてくれた。
この後も幾度かモデルの撮影をした。
いつも礼儀正しく真摯な人だった。

我が母上は大変厳しい女性で、
決して甘えを許さない人だった。

プロとして仕事を引き受けたからには、
最後まできちんとやるのが、
当たり前であると今日も叱咤する。

子供心に私は思った、
「私が引き受けたんじゃないのに」と。

母上の厳しい躾は、
幼少から中学校卒業するまで続いた。
日本国籍を持つ日本人であっても、
外国の人の血が混ざるハーフなので、

“くじけずに、社会で生きるために厳しく躾けた”と。
ずいぶん後になって母は語ったのだが、
しかし、当時の私に知る由もなかった。

子供にとってモデル撮影は、
楽しいどころか、
あまりにも無情で厳しいものだった。

高熱が出ても仕事は休めない。
気が沈んでても笑わなくてはいけない。
夏の暑い時には冬物の撮影をし、

冬の寒い時には夏物の撮影をする。
寒いなどとは決して言えないし、
暑いからと汗もかけない。

学校の勉強はいつしか遅れを取り、
担任の先生からはきつく叱られる。

何か納得がいかず、
すべてが理不尽にさえ思えるのだった。

しかし、この現実に立ち向かう勇気を
この頃の私は持っていなかった。

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

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週刊誌の取材
リーナ・エダ8歳
自宅・写真撮影

ドイツ人の祖母、
イギリス系アメリカ人の祖父の元に生まれた父と、
日本人の母の間に生まれた私。
私の父は胃ガンで7歳の時に他界した。
母は日本人の男性と再婚し、
新しい家族が生まれた。

幸せな家庭とはかけ離れていたが、
家族には違いなかった。

この週刊誌の記事は、
化粧品モデルに選ばれた時ものである。
この化粧品ポスターは巷で話題になり、
華麗なるお姉さまモデルと一緒に、
国際色豊かな三姉妹の女神役を演じた。
私は日本女性らしい印象に仕上げられている。

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当時はパソコンもなく、
モデルの画像修正もままならない時代。

撮影スタッフは20歳役の日本人モデルを探していたが、
美しい肌の理想のモデルが見つからず、
私は8歳という年齢で、
20歳の日本女性という大役を務めた。

ある日のこと、
週刊誌の取材班が来ることになった。

当日、取材班が我が家に到着すると、
撮影前に母は私にそっと耳打ちした。

「何が好きか彼らに聞かれたら、
“勉強”と答えなさい」と。
母の予想通り、
取材班スタッフは私に同じ質問をした。

私はあるがままに答えた。
“勉強や仕事より、お人形遊びが大好き

はじめての母への抵抗である。
小さな抵抗だが、
嬉しくなって思わず微笑んだ。

今でもお人形やぬいぐるみが大好きでたまらない。
どこか現実逃避したい気持ちが、
それらの行為に反映されているようだ。

私にとって、
お人形やぬいぐるみはモノではなく、

噓のない、偽りのない会話ができる真の家族であり、
心から理解し合える友であり、
今を一緒に生きる愛すべき存在なのだ。

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上記の取材記事にあるように、
すべてのお人形は名前を持っている。
それぞれ違った資質を表現していた。

一人ひとりの性格もバラバラで、
甘えん坊で泣き虫から怒りん坊、
わがままな姫キャラから心優しい子、
面倒見の良い子から将来を夢見る子、
多種多様なキャラクターで、
各々がユニークな資質を表現していた。

みんなが素敵な夢を胸に抱き、
私に熱く語るのだった。

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私は彼らに支えられて大きく成長した。
心から感謝している。
ありがとう!
LOVE❤️

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

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写真コンテスト優勝
リーナ・エダ8歳
自宅前・写真撮影

お隣の家のお兄さんが撮ってくれた
写真展へ出展するための作品である。

お向かえの家の佐藤さんは、
美しいバラ園のお庭を持っていた。

お庭に入るとバラの香りが私を包み、
ハートをいっぱい満たすのだった。

私は淡いピンクのバラが大好きで、
5月のバラの季節になると、
学校の帰り道に必ず立ち寄った。

そんな私の姿を見ていたお兄さんが、
写真を撮りたいと言ってきた。

モデル撮影は嫌いだったけど、
美しいバラ園で花を摘み佇むだけなら、
特に問題なかった。

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お花や虫たちも私の大切な友だった。

アリを飼って日々観察したが、
驚いたことに、

アリさんは働き者と聞いていたのに、
すごい怠け者だった。

カタツムリは紫陽花が大好きで、
絶妙なマッチングを表現していた。
七星てんとう虫は、
真っ赤なカラダに黒の水玉が洒落てる。

黒の水玉が七つの星を描いているため、
世界中で縁起が良いとされる、
この柄を表現した彼らは大した存在だ。
そう、便所虫のあだ名を持つ
ワラジ虫やダンゴ虫、

キラキラ七色に光るコガネ虫も
一緒に時を過ごした魅力ある存在だ。

土の中から顔を出しうねって動くミミズは
なぜか愛おしく思えた。

川や沼に遊びに行くと、
メダカやカエル、ザリガニがいた。

お祭りで幾度かヤドカリを買ってもらい
その度に、じっくり観察した。

ヤドカリが新しい宿(ヤド)を探して、
窮屈になった古い殻から、
いつ出て行くのか、興味深かった。

残念ながら一度も目撃できず、
気づくと、
どこにも姿がなく消しまうのだった。
うねうねしたナメクジを見てると、
生命の神秘を感じたり不思議に思った。
何か原始的な構造をしているようで、
遠い宇宙から飛来したようにも感じた。
なぜかと云うと、
隅に追い込んでもスルリと消え現れる。
何度もその瞬間を見たのだ。
絶対に向こう側に行けないはずなのに、
彼らは必ず行くのだ。
これを現代風に言うのなら、
瞬間移動テレポーテーションするのだ。

生き物たちの観察にはきりがない、
不思議な謎だらけである。
トカゲの切れた尻尾は再生し、
見事に蘇るのだ。
生き物たちの神秘は計り知れない。

もしかすると、人間は傲慢ゆえに、
種の進化が途中で止まり、
遅れてしまった存在なのかもしれない。

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

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写真家 今井寿恵(壽惠)

この日の撮影は、
母と一緒に親子の役でスタートした。

撮影はカメラマンというより、
写真家の今井寿恵氏だった。

世界的に評価の高い女流写真家だ。
母と今井寿恵氏は同じ年生まれ、
大変気が合い、
私たちは最強のチームを組んだ。

私は専属モデルであるかのように、
様々な撮影に担ぎ出された。
彼女は高潔で威厳のある女性だった。
それでも、私は“今井先生”と、
親しく呼んでいたのを覚えている。

今井先生の作風ではどちらかというと、
もの寂しげなモデル役が多かった。

詩ポエムの写真や
美しい物語に掲載する写真が多く、

ドラマ性の高い作品や、
情緒豊かな心象風景の作品が多かった。

今井先生は長野県軽井沢に、
素敵な別荘&スタジオを持っていた。

別荘には美しい馬が佇み、
趣向きのある馬小屋もあった。
映画のワンシーンを見ているような

カントリーな雰囲気が漂っていた。

今井先生の美馬への傾倒は、
イギリスで出会った〜
美しい名馬“ニジンスキー”
魅せられたことから始まった。

優美な姿のサラブレッドの写真は、
世界的に注目され、大活動を果たした。

美馬の写真を撮らせたら、
右に出る者がないと大絶賛され、

2009年JRA馬事文化功労賞が
彼女に贈られた。


ニューヨーク近代美術館には、
今井寿恵氏の素晴らしい作品が収められている。
今井先生から後に伺ったことだが、

軽井沢の別荘で、
私がモデルをした心象風景の写真も
ニューヨーク近美術館に収められているという。

東京・原宿で久しぶりに、
今井寿恵先生と再会した時に、

記念すべきその作品群を
今井先生のサイン入りでもらった。

人生の旅シリーズ/モデル引退24歳に掲載)

今井寿恵先生、ありがとう!

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今日も母と私は小さなクルマに揺られ、
新しいロケ地を目指し出発する。
次の撮影が始まるのだ。

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

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森永製菓 スキップ
ちびっこモデル大集合!

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雑誌「楽しい幼稚園」
ロボット・自動車・フランス人形

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ニチレイ カロリナ ヘレンカ
ちびっこモデル大集合!

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雑誌「手作りお洋服」
音楽の発表会と七五三詣り

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⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

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Toray 東レ
企業カレンダー
リーナ・エダ9歳

真っ白なウエディングドレスが印象的、
生まれて始めて衣装に触れて
心から感動したことを覚えている。

美しい高貴な女性は、
写真家篠山紀信の元妻ジューン・アダムスさん。
本当に美しく息を飲んだ。

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

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少女フレンド(漫画)講談社
少女モデル
リーナ・エダ10歳

この日の撮影は、
ワイルドワンズの植田芳暁さんと一緒、
とっても礼儀正しく、
優しいお兄さんで素敵な人だった。

当時、大流行のグループサンズで、大人気只中の人。
私が仏語でサインを求めたのに仏語がわからない?という設定。
私も仏語が苦手でわからないのにな〜。

この時期から子供モデル時代は終わり、
ちょっと背伸びをした少女モデル時代へ突入した。

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

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少女モデル
リーナ・エダ10歳

ある日、衝撃的な出来事に遭遇した。
思ってもいなかったことを事実として知ったのだ。
その時の衝撃は今でも忘れない。
祖母の家を訪ねた時のことだった。
私の出生にまつわる隠し事が露わになった。
3歳の頃に母が再婚し、
新しい家族と一緒に暮らしてきたが、

その頃は新しい家族だったとは知らず、
目の前の両親の子供として
生まれてきたと信じていた。

しかし事実は違った。
私の中には日本人ではない
外国人の血が混ざっていたのだった。

幼稚園や小学校の時のこと、
同級生や下級生たちにいじめられた。
「外人、やーい外人」とからかわれ、

「ばい菌、放射能」とじゃけにされ、
「原子力船むつだ、危険だ、近づくな」と言われた。
何も知らない私は、
いじめられること
が不思議だった。
どうして、石を投げられたりするのか、
汚い者として扱われたりするのか、
とても疑問だった。

この瞬間、すべての疑問が解けたのだ!

私はみんなが言う通り、
彼らからすれば“外人”だったのだ。

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祖母のタンスの引き出しを開けた時、
そこに一枚の写真があった。
母が抱いている赤ちゃんは、
間違いなく私自身なのだ。

その写真の裏を見ると、
外国人の名前が記されていた。

“Linaリーナ”と英語で記されていた。
そして苗字も外国の名で記されていた。
両親は私に嘘をついて、
こうした事実を隠していた。

なぜ嘘をついて隠すのだろう、
なぜありのままに話をしないのだろう、
頭の中をたくさんの考えが走り抜けた。
母は私を厳しく躾ける中で、
一番強く言っていたことは、

「決して嘘をついてはいけない」だ。

この時、私は呆然とした。
嘘をついてはいけないと言っていた母が

理由はともあれ、私に嘘をついていた。
隠された事実を知らなかった私は、
いじめられた日々を思い出し、
悔しくて悔しくて、
大粒の涙が溢れて止まらなかった。
いじめられる理由がわかっていたら、

自分の気持ちの受けとめ方が違った。
学校でいじめられて泣いて帰ると、
母は厳しく叱るだけだった。
自分に誇りを持ちなさい!
泣き止むまで絶対に家に入れなかった。
私は涙を流しながら家を離れ、
涙が止み、回復するまでじっと待った。
いじめられる惨めな気持ちは、
本人にしかわからない。

慰めて欲しかったとは思わないけれど、
悲しい気持ちを受けとめて欲しかった。

この出来事を境に私は生き方を変えた!

今日まで大人しく良い子だった私、
この時、私の反逆が始まったのだ。

今でも覚えているのは、
心の中でこうつぶやいたことだった。
“こうした事実に直面した子供は、
両親を信じられなくなり、
不良になるか、口をきかなくなるか、
または反抗的な態度に出るか、
どうにか親を困らせようとする”
小さいながら私の判断は、
この衝動的な思いに影響されず、
じっくり考えることだった。

一枚の証拠写真を私は手に取り、
どう選択するか、自分に問いかけた。
しばらくすると、
内側から切実なる思いが湧いてきた。
過ぎ去りし日の後悔が込み上げてきた。

大人を信用するのはやめよう、
大人の言うことは矛盾だらけだ、
これからは自分を信じて生きて行く!

私は胸の内で強く決意した。
こうした悲しい出来事をきっかけに、
不良になることも、
親に盾突くことも簡単な事だけど、
結局、損するのは自分だ!”と、
瞬時に悟ったのだ。
この出来事に振り回されて生きるより、

この先どう生きるのかが、重要だった。
私は決意を固めると、
天に向かって誓い、宣言したのだ。
私は自分を信じ、天を信じて生きる
なぜ天に向かって宣誓したのか、
私にはわからない。

ただ、信じられない大人を見放した時、
なぜか崇高な存在を強く身近に感じた。

最初に実行したことは、
自分に正直になること”と、
自分が納得しないことは、
すべて潔く辞めること”だった。

まずはモデルを辞めると決心した。
学校を休み、朝早くからロケに出て、
大人たちの言う通りに演じることで、
自分を悲しませてきた。
担任の先生に叱られるのも、
居残りをされるのも終わりにしたい。

もう大人の言う通りにしない。
この決意を境に、私はモデルを辞めた。

自分らしくありのままに生きることは、
この出来事から学んだ最も大切なもの、
それは大きな責任を伴う、
私の選択でもあった。

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すると、驚くようなタイミングで物事が動いた。

私たち家族が住む家が、
杉並から新宿へ移ることになった。
新しい環境、新しい学校、新しい友達。
今までのおとなしい良い子の私から、
自立心の強い、
自分の考えを持つ私へシフトした!

私が生まれ変わるタイミングとして、
これほど素晴らしいギフトはなかった。
新しい小学校で、

新しい人生をスタートさせるのだ!

この瞬間も、
私たちを見ている存在がいる。
いつでも愛する我が子を見守るように。

それが誰なのかわからないまま、
大いなる存在の“愛”と“力”を受け取った。

自分を愛すること、自分を信じること

自分を愛した分だけ、人を心底愛せる。
自分を愛さない人は、人をも愛せない。
自分を信じた分だけ、人を信じられる。

自分を愛することは、
人を愛することだと教えられた。
なぜかこの時、
愛しさと懐かしさが、急に込み上げ、
涙が溢れて止まらなかった。

今思えば、この10歳の出来事は、
驚くような“天の贈り物”に違いない。
わずか10歳の年頃なのに、
ここまで緻密に考え行動できたのだ。
人間の可能性は計り知れないものだ。

今でも忘れない光景がある。
美しい夕暮れの空に茜色の雲、

遥かなる憧憬に想いを寄せながら、
目に涙を溜め、
慕う気持ちで心から感謝を贈った。
愛しています、愛しています、愛しています
すると、その愛に応えるように、
深遠なる愛が私の胸ハートに注がれた。

私たちの心の絆は
この出来事をきっかけに、
不動のものとなった。

神恩感謝!

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

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私はひとりじゃない、
私はひとりで生きているんじゃない。
いつでも私を愛し、
見守っている存在がいること知った。

私の悲しみや苦しみをすべて抱きしめ、
その両手でそっと優しく包み込み、
心から励ましてくれる存在がいる。

私、10歳の夏休み、
大いなる自立へ目覚めの一歩となった。

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

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追記

その後、両親は離婚し、
愛する弟は15歳で他界し、
母と娘のふたり暮らしになった。
10歳の夏、モデルを辞めたはずなのに、
不思議な縁で、
15歳から再び、モデルを始めることになった。
自分の思いとは裏腹に、
物事は動くべき方向へ動いていくものなのだ。

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

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