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スリランカへの旅立ち

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スリランカへの旅立ち 

スリランカのお寺へ向けて出発の時がきた。
内心はとても心配で不安がいっぱいだったに違いない。
私はスリランカへ渡航する準備を整えた。
まずはタイまでの格安チケットで渡航日を決め、
最低限、必要なものを揃え、後は渡航日を待つまでとなった。
それまで在籍していたお寺の老師に旅立ちの話をした。
老師は突然の話に驚いた表情を隠せず、残念だと言った。
禅宗の僧侶にとって、
禅宗を後にして日蓮宗へ行くことなど考えられないことだった。
それは、修行においてさらに登るというより落ちるイメージなのだ。
最後に老師はひと言つぶやいた。
“いつでも戻っておいで”

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“南無妙法蓮華経”

私が幼少の頃に住んでいた杉並には、
数多くのお寺があり、
日蓮宗、浄土真宗、禅宗、真言宗、天台宗、
その他にも様々な宗派のお寺が存在していた。
我が家に来るお手伝いさんは日蓮宗の信徒だった。
私は子供の時からお経が好きで、いつの間にか暗記してしまう。
お手伝いのおばちゃんと一緒に、両手を合わせ合掌しながら唱える。
“南無妙法蓮華経”

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お経の持つ言霊や音霊には何か力が宿っていると子供心に感じていた。
現実世界で辛いことがあると、心の中で両手を合わせお経を唱えた。
“南無妙法蓮華経”

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蓮の花は泥の中から這い上がり、美しい花を咲かせる。
この世の苦しみは“泥”に象徴され、魂のきらめきは“蓮の花”だ。
蓮の花がこの世のものとは思えないほど美しいのは、
多くの試練を乗り越え、自らを天に向かって昇華させるからだ。

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スリランカに初めて渡航した時、
不思議な導きで巡り合ったのは日蓮宗の僧侶だった。
子供の時に唱えていたお経の功徳なのかもしれない。
日蓮宗の僧侶との出会いがきっかけとなり、
この後、再び私をスリランカへ旅立たせ、
日本山妙法寺のお寺にて仏教の修行に励むことになった。
きっとお釈迦様のお導きにちがいない。

今日も天空には妙なる調べが鳴り響き、
菩薩の誓願が成就される。
“南無妙法蓮華経”

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スリランカ・首都コロンボ

インド巡業で南部ケララの海岸を歩いている時、
まるで天啓が降りてきたように、ある衝動にかられた。
インド大陸の右側に位置するスリランカへ行こうというものだった。
なぜ、そう思ったのかはわからないが、旅の準備を始めた。
ケララからスリランカのコロンボ空港に到着しホテルを手配した。

首都コロンボのホテルには3日間滞在しながら、
スリランカはどんな国なのか、街を歩きながら触れようとした。
しかし目に飛び込んできたのは、
街のいたる所でライフルを持って立つ人々だった。
彼らは軍人なのか警察なのかわからなかったが、
何かとても物騒な印象だったのを覚えている。

しばらくしてエネルギーも充電されたので旅立つことにした。
はてどこへ行こう?計画はない、どうしようか?
そこでホテルのフロントにどこに行ったら良いかを尋ねた。
キャンデーという古都を勧められたので最初の目的地にした。
汽車に乗り、数時間ほどでキャンデーに着いた。
古き良き時代を象徴しているような街並みと大きな湖があった。

街の中心には、
お釈迦様の骨を納めている仏舎利塔が建っていた。
宿を決めた後、湖のまわりを散歩し、キャンデーの空気に触れた。
どこか懐かしいような親しみを内側に感じた。
キャンデーの静謐なエネルギーの洗礼を受けた私は、
お釈迦様を慕う熱き想いを胸に抱きしめ、
大きくそびえ立つ仏舎利塔へお参りに出かけた。

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続く…。

再び、スリランカへ旅立つ

 

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タイ・バンコック到着

タイのバンコックに到着した私は、
スリランカまでの格安チケットを購入し、
そのチケットでスリランカの首都コロンボを目指す。
格安チケットの手配には最低3日間は必要なので、
タイの首都バンコックでチケットが手に入るのを待つのである。

今でも忘れられない体験がある。
あまりに強烈な体験だったので鮮明に覚えている。
バンコックのホテルに着き、チケットの手配をした後、
フルーツと飲み物を買ってホテルの部屋に戻った。
そしてベットに横たわり、大きな深呼吸をしてくつろいだ。
すると、身体の内側がざわざわし始めたのだ。
お腹の奥からエネルギーがぐるぐると渦巻きはじめ、
心臓はどくどく強く波打ち、呼吸が息苦しくなってきた。
そして言われもない不安に襲われ、ガタガタ震えだしたのだ。

スリランカへの旅立ちを決めてから、
ものすごい勢いの波に乗って、ここまで来てしまった。
一切迷わず、ただただ衝動的に素早く行動を起こした。
決意してから、はじめてゆっくりする時間が訪れたのだ。
そのゆっくりした時間が私の中の不安を呼び覚まし露わにした。

私は何をしているのだろう?
いったいどこへ向かおうとしているのだろう?
どうして、スリランカのお寺へ行くことにしたのか?
知らない土地で知らない人たちと暮らすことになる、
そこは安全な場所なのか?
女性1人で行って怖いことはないの?
次から次へと不安を言葉にかえて頭の中を飛び交った。

私の恐怖は刻々と募るばかりだった。
すると、今度は涙がとめどもなく溢れ出し、泣き始めた。
時間にすると1時間以上、大泣きしていたにちがいない。
泣き止む頃には、眠くなっていつしか寝てしまったようだ。

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タイのホテルでの滞在期間、食事以外で外に出ることもなく、
ベットな中で泣きながら、恐怖と向き合う三日間となった。

あれほどまでに身体が震え、
息苦しい思いをしたことはなかった。
今でもその光景は脳裏に焼きつき、あの部屋を思うだけで震えてくる。
私たちは数多くの出来事を人生を通して経験し、
それらは記憶となって記憶の倉庫にしまわれていく。

その経験が過ぎ去った後も、それらは記憶として保管され、
いつでも思い出そうとすれば追体験できるのである。
人間のメカニズムの精妙さと言える。

続く…。

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