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闘病生活へ 26歳、原因不明で病が悪化

linaeda21

闘病生活へ

26歳、原因不明で病が悪化

内なるフィーリングに支えられて、
愛する人たちに別れを告げた私に訪れたのは、
新しい人生というより、
奇病による闘病生活だった。
人生の中で最も死に直面し、
自分の無力感を感じた時だった。

渋谷・松濤の洋館の賃貸契約を解除し、
彼と一緒に起こした
デザイン制作会社をたたみ、
世田谷の尾山台へ住居を移すことにした。
近くには等々力渓谷あり、
広大な空間と多摩川がある。
自然の息吹を全身に吸い込みながら、
新しい人生を迎える準備をしようと思っていた。

しかし皮肉にも、
引越しを目の前にして私の病は悪化し、
渋谷・松濤の洋館から
千駄ヶ谷の某病院へまっしぐら。
しばらく入院生活を送ることとなった。
その時、病の悪化は不明だった。

病の最初のきっかけは、
猫アレルギーから引き起こされた喘息だ。
猫を手放さないこともあり、
喘息も悪化していった。
引越しの準備のため洋館を片付けていると、
彼の怒りがエネルギーとなって
飛んでくるのがわかった。

母も生まれてはじめて一人暮らしをする
不安に苛まれていた。
自分のまわりにいる愛する人たちを
傷つけ苦しめてたことで、
彼らの怒りや悲しみのエネルギーが
私の元にやって来て、
さらに病を悪化させているのは
明白なことだった。

入院先の病院も
大きな問題をかけている病院だった。
強い薬を患者に与えるため、
副作用で別の箇所まで病に侵されてしまう。
私は小さい時から自分の体の内側がなんとなくわかり、
今、自分の身に何が起こっているか、
どこに支障をきたしているか、
なぜかわかるのだった。

喘息発作と原因不明の貧血を理由に入院させられた。
強い薬を投与されるので、
喘息の苦しみは解放されるものの
副作用として心臓にダメージがある。
この病院の担当医の先生に、
“強い薬のせいで心臓がダメージを受け
苦しくなっている。

心臓に負担のない優しい薬に変えて欲しい”
とお願いした。
それなのに、小娘が何がわかるとばかりに、
“君にわかるわけがない。
私の指示通りにしていればいいのだ”と
突き放された。

日毎に心臓のダメージは大きくなり、
さらに息苦しくなってきた。
すると、担当医は喘息の悪化だとして、さらに薬の量を増やし、
ますます心臓への負担を大きくするのだった。
病院内をうろうろ歩いて回り、
ちょっと調査してみた。
多くの人が強い薬を投与されていて、
ほぼ薬漬け状態だった。
喘息の患者も多くいたが、
誰一人治った人がいなく、
ほとんどの患者が退院せずに、
病院暮らしをしているのだ。
はっきり言うのなら、
治るための病院ではなく、
病人であり続けるための病院だった。

信濃町にある慶應義塾大学病院が、
通常はお世話になっている病院だったにも関わらず、
渋谷・松濤から近いということで、
母の友人がこの病院を薦めた。
私は自分の思いとは裏腹に、
この病院へ連れてこられたのだ。
そしてすぐに入院することになった。
他の病棟をまわ内に、色々とわかったことがある。
この病院に入院している患者さんの多くは
退院したいと思ってない、
同じ病の患者さん同士が集まり、
友好会を作ったりしているのだ。
そして、私に素敵な男性を紹介するから
こちらおいでと言う。
私はありがた迷惑だと思ったけど、
一応、どんな様子なのか見ようと思った。
すると私と同じような病のお兄さんがやって来て、
この人はどうかと聞かれた。
私は戸惑いながら、
心の中でつぶやいた。
病人が病人と付き合ってどうするの?
せめて相手は健康な方が良いのではないか?
私が返事もしないでいると
お世話係の患者さんが言った。
“同じ病を持っている者同士だから、
理解し合い励まし合えるのだ”と。
なんという発想なのか、
完全に病に侵されている人たちだ。
こんな発想では病は治るはずもなく、
治るどころか病に執着している。
そしてみんなで仲良く鳩の会という
友好会を作り楽しんでいるのだ。
そして鳩の会の標語は、
みんなで仲良く助け合って生きようと…。
もうダメだ、ここにはいられない。
私と生き方と違いすぎる、大きなため息がこぼれた。
その後も病院内をうろうろ回り、
頼りになる人を探したが誰一人いなかった。
患者さんも看護婦さんも
みんな仲良しクラブのメンバーであり、
健康になって病院を退院する意思のある者が
いないのである。
気分は絶望的であり、
自分の病棟に戻り、
どうしたら良いのか思考を巡らせた。
すると内なる声が聴こえてきた、
3年ぶりの内なる声である。
以前はいつでも聴こえていたのに、
本を読みあさり、
芸術や文化や思想を仲間と一緒に
語り合う内に聴こえなくなった。
彼らは知的に会話をするためか、
頭がいつも忙しいのだ。
不思議なことに私は、
内なる声が聴こえなくなっていたことにも
気付かなかった。
大きな難問に直面した私は、
ベットの上で横になり
作戦を練るための準備を整えた。
しかし、実際にはどうしたら良いか
わからないこともあり、
私は心の中で自問自答したのだ。
それがきっかけとなり、
すっかり忘れていた内なる声が戻ってきたのだ。
私は誰よりも力強い味方を得たと確信するのだった。
早速、一緒に作戦を練りはじめることにした。

作戦1

担当医の先生は頑固で身勝手、
患者の話に耳を貸さず話を聞く気もない。
自分だけが正しいと思い込んでいるため対応が難しい。
但し、夜になると夜勤の先生は
インターン生になることが多く、
インターン生は若い人なので医療にも慣れていなから、
こちらの話を素直に聞いてくれるに違いないと思った。
そして、いよいよ作戦を実行する時がやってきた。
夜も深まり、
多くの患者さんが寝静まった頃合いを見計らって、
ナースを呼びだすベルを押した。
私は急に苦しくなって暴れだし、
ベットから転げ落ちる演技をした。
予測通り、
ナースは慌てて夜勤の
インターン生の先生を呼んでいる。
インターン生の先生が私の元にやって来たので、
その先生に“心臓が、心臓が苦しい”と言って胸を押さえた。
すると先生は慌てて、心電図をとる準備を始めた。
心電図を取ると、
かなり乱れた不整脈の状態になっていることが判明した。
私は先生に言った。
“強い薬ではなく心臓に優しい薬に
変えて欲しい”と頼んだ。
先生は快く、
心臓に優しい薬に変えてくれたのだった。
これでしばらくはひと安心である。
次の朝、担当の先生が巡回で来たので、
昨夜の出来事を持ち出し、
私の言う通り心臓がダメージを
受けていたことを語った。
そして、優しい薬に変えてもらったことを話すと、
担当医の先生の表情が一変した。
何か気に入らない様子で、開口一番に言った。
“君に何がわかるというのか、
私の指示に従えばいいのだ、
勝手に薬を変えるなどもっての外、
インターン生には困ったもんだ”と言い、
結局、作戦1は虚しくも成功せず、
薬は元に戻され、点滴も元に戻され、
強い薬が戻ってきた。

私は驚いた、この現実は何?どういうこと?
この病院は患者さんの病を治すつもりはなく、
薬漬けにして入院させておくことが目的のようだ。
こうなったら、
何が何でも自分がここから抜け出すしかない。
私はベットに横たわり、
次なる作戦を内なる声と共に練りはじめた。
まずは正攻法で、
自宅療養するので退院したいと申し出た。
すると病気が治っていないのに
退院させる訳にはいかないと断られた。
病院から出たくても出してもらえない、
この現実にまたまた驚いた。
薬も変えてもらえない、治療法も変えてもらえない、
病院も他院させてもらえない、三重苦である。

作戦2

いよいよ奥の手である。
内なる声に言われたように
作戦2を実行する時が来た。
まずは私は友人に連絡を取り、
友人の手を借りて、
この病院から脱出する作戦を企てた。
この作戦は大成功となり、
無事に退院の手続きをすることができた。
その作戦とは長期療養で
グアム島へ行くことになったというものだ。
飛行機のチケットも用意され、
療養するコンドミニアムも
三ヶ月の契約がされたことを友人が話した。
この作戦には、
さずがの病院サイドも仕方なく退院を許可した。
しかし、病院を出る際に、
飲み薬は3日分しかくれなかった。
病院の言い分は、
“もし薬が欲しなら通院してきてください”
というものだった。
怖ろしいほどビジネスライクな
不親切対応である。

無事に退院できた私は、
友人の助けを得て、
尾山台の新居へ行くことになった。
私が入院をしている間に、
友人が荷物をまとめて引越してくれた。
母の引越しも終わり、
洋館も片付けが終わり、
すべて完了していた。

母の借りた家では猫を飼うことが
固く禁じられていたため、
必然的に、
我が家に猫ちゃん2匹が来て住んでいた。

喘息発作の元であるものの
愛する猫ちゃんとの再会である。
喘息の発作はまったく改善されていないどころか
悪化している。
再び、猫アレルギーから
喘息発作を引き起こし、
救急車騒動になっては
申し訳ないと思うものの、
かといってどうしようもない。

入院先からは3日分の薬しか
もらえなかったのである。
そこで、友人の助けを得て
慶應義塾大学病院に行くことにした。
私がこの世に誕生した時の病院であり、
学生時代から何かあれば
こちらの病院へ通院したのだ。
精神的にも頼りになる
先生方がいる病院である。

早速、慶應義塾大学病院に行き、
自分の病を診察してもらうことにした。
入院先の病院から渡された薬を私は持参した。
大学病院の先生はその薬を手に取り、
驚いた表情をした。
この薬は劇薬で患者さんに与えるのは、
末期の患者さんか、
病が治る見込みのない患者さんへの
ものだと言った。
この薬は副作用として
心臓にダメージを受けるものだと語った。
やはり、私が思った通りである。
病を患った患者さんが
入院先の病院の選択を誤っただけで、
生命に関わるとんでもないことが起こるのだ。
何もわからず担当医にすがろうとするが故に、
ひたすら受け身であり、
無力なのである。
心あるお医者さんに出会えるか、
心ないお医者さんと出会うか、
この選択肢こそが、
その後の明暗を分かつのだ。
何か権威あるものを信じる前に、
見定める必要がある。
患者さんが無力だったら、
家族が見定めるべきである。
ただの受け身はろくなことがないのだ。
慶應義塾大学病院の心ある先生から、
適切な飲み薬一ヶ月分と吸入器をもらった。
さあ、気分を一新して自宅療養で病を治そうと決意した。
この先、壮絶な闘病生活が始まりとは
知る由もなかった。

続く….。

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